どうも。今日は二つの予定が重なっていました。
担々麺もタイ料理も美味しかった。
石鹸も紙もお洋服も大好きだよ。
さて、拍手・メールありがとうございます。
以下メルフォの返信です。
9/19 肉塊と脳の感想と質問をくださった方。
メール有り難うございます。肉塊と脳、面白かったと言っていただけてとても嬉しいです。
それから、丁寧に読んでくださって、分析してくださったんだなぁと心がダンスする気持ちで一杯です。本当に有り難うございます。何故、と問われるのが好きです。結局自分の作品がとても愛おしいので、作品について語るのは大好きです。
さて、本田さんはいつもイヴァンさんからのものを破ったりもやしたりしている、というご指摘を頂いたのですが、最近は確かに、そのエンディングを選ぶことが多いですね。具体的に言うと、オフ本の1059. WEB SITE BESTの書き下ろし作品、斯くもゆるやかな失墜、そして今回の作品と合計三回にわたり同じエンディングが繰り返されています。これらは本田さん自身は常に違う理由でイヴァンさんから貰ったものを廃棄していると考えていますが、(書き手側の意図として)実際は全て同じ理由から来ています。つまり、望むものを取り上げられ、望まぬものを与えられたからです。
今回の作品では、本田さんは「神」が欲しかったのに「神の不在」を与えられたのです。つまり本田さんは数式の存在を知ることで神なんていないんだと言うことを理解してしまったのです。破いたところで神を信じていた昔には戻ることが出来ないのですが、本田さんはそれに一縷の希望を託しています。どうかこんなもの無かったことにしてください、と。しかし同時に、それは叶えられないにちがいないということを本田さんは知っています。なにも無かったことには出来ないのです。
以上が私の考えるこのエンディングの意味です。その他の作品についても、同じ事が言えます。これのバリエーションですね。
納得のゆくものだととても嬉しいですが、書き手から離れたものは結局書き手のものではないと思っていますので、どのように納得してくださっても、納得してくださらなくても、嬉しいです。問いかけを有り難うございました。PR